ブログ 付け焼きBar

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ナンシー関の件

改めてナンシー関を評価する

なんてタイトルにはしませんよ。

私が評価できるなんて立場にはありませんから。

 

でもなんでナンシー関なのかといえば

たまたま家にナンシー関の「テレビ消灯時間」という本があって

いま一度読み返してみると改めてすげーなと思った次第です。

 

よくナンシー関は毒舌で知られるみたいに言われるんですが

読んでて思うのはよく言われる「毒舌」とはちょっと違うんですよね。

毒舌っていえば単なる口が悪いやつって感じになってしまってまして

ネットの記事でも単に嫌いなだけで悪口書いててそれも毒舌とか言われてる。

ナンシー関はちゃんといろいろわかった上で厳しいことをいっているわけです。

これは毒舌なんかではありません。

 

その文章のおもしろさですが

確信を突いていていわゆるタブーをいっちゃったっていうのもあるでしょう

これはみんなが知ってて知らんぷりしてることをズバッと言っちゃうわけで

読んでて気持ちがいいというか、すんなり納得できるわけですね

あともう一つはなんとなんくモヤモヤと漠然と感じていた有るタレントへの気持ちについて

これはこういうことなんだよと芸能版池上彰よろしく解説してくれるんですね。

もうこれは新しい知識を得たといいますか、見識を与えてくれたといいますか

持った湯のみをばったと落とし小皿たたいてチャンチキおけさなわけですよ。

(なんか混ざってる??)

 

たとえば、

ーフジ系列女子アナがデンジャラスになる日

という項では

27時間テレビに出てきて東京へのアピールをする地方局女子アナの姿について

語っています。

「私はアナウンサー。今日は晴れの全国ネット」という自意識と、セットの一部としか見られていないという現実との折り合いを付けられないまま、少しでもカメラに映ろう、少しでも喋ろうという一生懸命な向上心は「罪だなあ」では収まりきれない不快感さえ生み出す。

                     ーテレビ消灯時間2より

 

 

 単なる不快感を述べるだけでなく、その背後にある女子アナの闇に言及することで

おかしくも悲しい世界が頭の中に広がってくるわけです。

これはテレビが題材ですけども、ラジオ的な面白さがあるわけですね。

見えているもの聞こえているものから果てし無くイメージされる、あるいは妄想される世界が

ナンシー関の言葉なのだと思うのです。

以上軽くて薄いナンシー関論でした。


引き続きよろしくお願いします