新自由主義の影響が思ってもみなかったところに出ている件
フリーランスは自由な時間が作りやすいのですが、小遣いの額に自由はないので時間をもてあます、秋の夕暮れです。
さて、新自由主義の話をしてみようと思うのですが、
乱文になることは必至ですので、もし読もうという奇特な方はその旨ご承知おきくださりますよう。
新自由主義という言葉が認識され始めたのは、冒頭に書きました小泉純一郎氏が首相であったころだったと記憶しています。
「自民党をぶっこわす」「抵抗勢力」「規制緩和」など、今思えば庶民の耳に聞こえのいい言葉で人気を保ち長期政権となりました。
特に規制緩和では、それまでいわば官の独占だった事業を民間が参入できるようにし、自由な経済活動ができるということで、大変支持が高かった政策でした。
その代表が郵政民営化。参院の否決で総選挙が行われるという前代未聞の事態にもなりました。
それらの政策はとりも直さず、アメリカからの年次要望書に書かれたもので、アメリカを席巻していた新自由主義によるもの。
それから20年。
日本に新自由主義はじわじわと定着し、国民にもその思想が刷り込まれてきたように思います。
いま、日本人の中にどんな思想がはびこってきたかといえば、
人生勝たなければ意味がない
負けたものは死ね
金が全て
といったようなこと。
昭和のころから日本に流れていた、社会主義的民主主義といわれる、大半の人たちが中流で、ある程度の底上げが常になされる、セーフティネットも機能している社会ではなくなってきました。
それが格差の拡大であったり、貧困の問題だったりに表面化してきています。
私は新自由主義というのはあくまで経済の話で、影響を及ぼすのも経済の範囲だと思っていたのですが、
どうやらそうではないことに気がつきました。
これはコラムニスト小田嶋隆さんの文章です。
先日来大炎上した長谷川豊氏のブログに関してのもの。
その中で小田嶋さんは
彼らは、本来は経済の理論であり商品を扱うための原理である市場原理や競争原理を、人間の生命にそのまま適用してしまう。
と、古くなった部品を廃棄し、壊れた歯車を捨てるみたいにして、年老いた人間や障害を持った人間を排除する思想が誕生する。
そういう彼らにとってみれば、弱い者に手を差し伸べたり、病める者を癒やすために時間と費用を費やすことは、世界の効率を妨げ、淘汰原理を裏切る重大な違反ということになる。
と書いています。
これ、そのままズバリ新自由主義なんですよね。
競争で負けたものは市場から退場させるという、経済の中の話を人の命に持ってきているということ。
そして、長谷川豊氏やそのバックにいる医信といったグループなど、そういう考え方が当たり前だと思う日本人が増えてきているということにとてつもない恐怖を感じるのです。
競走馬の世界では、レース中に骨折などの故障を起こし、怪我を治したとしても種牡馬にもならない馬は安楽死(本当に安楽に死んでいるかはわかりませんが)させるということがままあります。
近い将来、そんなことが人間にも起こりうるような気がしています。
来年から、OTC医薬品の購入において所得税からの控除の制度が始まります。
これまで処方箋がないともらえなかった薬を規制緩和し、薬局で買えるようになったスイッチOTC医薬品の一部について、購入が一万円を超えた部分については所得税から控除ができるというものです。
通常の医療費控除に比べてハードルはひくく、使わない手はないのですが、その裏には国家予算における医療費の抑制という狙いがあります。
これ、長谷川豊氏の暴論ブログと同じ根っこです。
もちろんこっちはちゃんとしてはいるのですが、だんだん、国民に医療費を使わせないように仕向けている気がしてなりません。
アメリカのように虫垂炎の手術に100万円みたいな世界の入り口のような気がしています。
医療費の問題は大きな問題なので、なんとかしないといけないわけですが、
その解決法が弱者を切り捨てることであっていいわけはありません。
これは庶民が声をあげないといけないのではと思います。
政治に任せていてはいけないです。
やっぱり、かなり乱文になってしまいました。
言いたいことが伝われば幸いです。
引き続きよろしくお願いします